昭和45年11月25日  夜の御理解


 おかげのま、関連性と申しますかね、おかげて言うのはもう芋づるしきにずっとつながっておると言うことですね。こちらが御縁を、御神縁を頂いたら、頂いたが最後そこからおかげて言うのはずっとつながっておるから、そこのつながっておるということを神様があのこんなにしてつながっておるのぞと、そのつながった縁を縁としておかげを下さろうとする働きがあるということをいつの場合でも感じますね。
おかげはもうこれですんだとか、これで切れたと言ったようなものは決してない。
問題はそのこちらからその綱を切らんようにさえ努めればよいということ。
神の綱が切れたと言うが神は切らん、氏子から切るなと仰る。そこにきがね、しかもその氏子から切るなというふうにとってありますが、神様が切らせまいと言う働きがいつもあっておると言うことですね。
私はあの御祈念前に内田さんたち親子でここであのお届をされますのに、私はしきりにここであの道子さんのことをお届けさせて頂きながら、道子さんあんたいくつ、あのちょうどそんとき聞こうと思いよったです。いくつになるかね、ち。聞こうと思いよったらあちらの方から先お届がありましたから、いよいよそのいわゆる関連性というものを感じたんですけれどもね。私があの椛目で人がどんどん助かるようになってから、初めてあのお名前を頂きたいと言うきたのがこちらのあの道子さんのお父さんなんです。
そいで、私はもう神様に一番初めに頂いたお名前が、いわゆる内田道子なんです。
だからもうあの時からもう何年になるだろうかと思うてね、今日しきりにお届さして頂きながらそれを思うんですよ。それ聞いたらもうちょうど丸明日が丸二十歳になるというじゃから、ははあ、なら丸二十年前に私は神様から頂いたのは二十年になるばいな、と。ま、早いようなほんとに長い年月でござい、二十年と言えば二昔も前のことであったとおもうてね、したらその次のお届に来なさるとが、去年の今晩があのガスで中毒してですね、もうほうからかしとったらこのまましまえるとじゃないだろうかというたるところを、ま、間一髪でおかげを頂いて、あれからなんか信心がまたこう生き生きとした信心ができるようになりましてね。また今もこうやっておすがりできよるといったような感じなんです。けれどもその一年前のそれあたりなんかは、二十年前の例えば神様にお守り頂くと言うほどしの一つの関連と言うか、それは神様が忘れなさるはずはないですよね。
しかも道子というようなその名前を頂いておるところから言うてもです、本人がその自覚を持って縋ってさえ行きゃ、おかげはずっと繋がって行くに違いない、頂けるんだと言うことをね、まそういう一つの因縁めいたことをね、しきりに私は今日はあの感じさせて頂いたんですけれど、因縁ていうが、そういうやっぱ因縁ですよね。
そういうお名前を頂くというほどしの縁を作っておるわけなんですからね。
ですからおかげはなるほど氏子から切るなと仰る、神からは切らぬと仰るが神様が氏子に切らせまいとしてですね、いゃそういうい働きがね、働きかけがあると言ったようなことを感じますね。
十九年の誕生の時にあのね、なら十九年前に御縁を頂いたときのことを、からしてまた一年経って今日今晩のことから思うてね、思いを巡らせばめぐらすほど、神様のそういう深いこの、を、神様の御思いといったようなものをね、感じて、その代わりいよいよ深い信心に入っていかにゃいけないと思うですね。どうぞ。